「クソ記事を作るな!」
「お前の記事、面白くない!」
そう言われたことがあるかもしれない。
そんな言葉によって、ブログ運営を投げ出してしまいたい気持ちになる人もいるだろう。
今回は、そんなブログ運営に悩める人たちを勇気づける意味を込めてこの記事を書く。
もしあなたがクソ記事を作ったとしても、読者側のニーズによっては価値のある記事になるということが判明した。
ブログ運営をしてきてわかった体験談をもとに書いていく。
もちろん記事のことだけでなく、人生観としても応用できるので置き換えて考えてみるのもよいだろう。
クソ記事はクソ記事じゃない
かくいう私も「お前のブログは面白くない」と言われたことがある。
正直腹が立った。
だが、ブログを運営していて気づいたことがある。
それは、ある人にはクソ記事と思われたとしても、ある人にとっては有益な情報であり価値のある記事になるということだ。
面白くない記事でも読者にとってはありがたい
ブログには、面白さを重視した記事もあれば、面白みのないの記事もあるだろう。
面白さを重視した記事では、ゲラゲラ笑えたりクスッと笑えたりできる。
きっと文才があったり思考がぶっ飛んでいたりすれば、笑える回数は増えるはずだ。
反対に、面白みのない記事では、笑うことは少ないだろう。
ちなみに、面白みのない記事の例として、ただ情報が書いてあるだけの記事とする。
面白くないと感じる理由は、情報がツラツラと書かれているだけだからだ。
ただし、この面白みのない記事でも読者にとって知りたい情報がつまっていれば、価値のある記事に化ける。
新聞がいい例だ。
記者の主観や感想は一切ない。事実だけだ。
新聞を読んでゲラゲラ笑う人は少ないだろう。
このように情報だけ書いてある記事でも、価値のある記事になるといえるだろう。
クソ記事が価値のある記事に変わる例
クソ記事が価値のある記事に変わる例を、私のブログ内の記事で解説する。
最近、以下の記事を書いた。
この記事を読んだ時に感想が異なるであろう4人がいると仮定する。
私のブログに来た4人
・Aさん
ファンタが好きでファンタの豆知識が知りたい
・Bさん
炭酸飲料が嫌い
・Cさん
雑学王になりたくて豆知識は何でも知りたい
・Dさん
勉強が大の嫌い
ためになったと思うのはAさん。
チラ見して帰るのがBさん。
勉強していくのがCさん。
はたまた「クソ記事だ!」と思うのはDさんである。
この場合、AさんとCさんにとっては価値のある記事であるとわかるだろう。
こんな記事も書いた。
この記事を読んだ時に感想が異なるであろう4人がいると仮定する。
私のブログに来た4人
・Aさん
デュクシを知らない
・Bさん
デュクシの使い手だった
・Cさん
雑学王になりたくて豆知識は何でも知りたい
・Dさん
学校が大の嫌い
Aさんはデュクシのことを知らないため、ポカンとする。
昔を懐かしみ、クスッとするのがBさん。
勉強していくのがCさん。
はたまた「クソ記事だ!」と思うのはDさんである。
この場合、BさんとCさんにとっては価値のある記事であるとわかるだろう。
つまり、その情報に興味がない人にとってはつまらないものとなる。
ただし、その情報について知りたい人にとっては有益な情報であり、悩みをズバッと解決する糸口となるだろう。
ニーズによって価値が変わる理論
理論的にはこういうことだ。
ベジタリアンにとって、肉の情報は知りたくないが野菜の情報は知りたい。
→野菜の記事は役に立つ
野菜料理を作りたい人にとって、野菜の育て方の情報は知りたくないが野菜料理のレシピは知りたい。
→野菜料理のレシピ記事は役に立つ
結局のところブログの記事というのは、検索して訪れるのがメインだ。
検索してくる人のニーズを考えて、検索してくるであろうキーワードの答えを書いていれば良いのである。
クソ記事はニーズによって価値のある記事になる
以上、クソ記事は価値のある記事になるということを説明した。
クソ記事と思われがちな記事だったとしても、実は価値のある記事であることが理解していただけただろう。
クソ記事になりそうだから書くのをやめておこうと思ったとしても、ニーズを考えればきっと価値のある記事に仕上がる。
是非とも試してほしい。